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hinohi_no
2025-04-29 20:28:40
6856文字
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九龍城砦
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愛のかけら/九龍城砦
秋兄貴の話。モブと洛軍と信一が出ます。この先の生き方について。
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脇腹から夥しい血を流した顔見知りを抱えて飛び込んできたのは、一番顔を見たくない相手だった。けれどそれが血相を変えて「手当てしてくれ!」と叫ぶから、秋は沈黙した。
「お前
……
」
護衛がいきりたつが、手で制する。溢れる血は地面を濡らし始めている。どう見ても、一刻を争う状況だった。
「
……
医者を呼べ。すぐにだ!」
顔見知りは色をなくしていて、ただでさえ白い肌がより一層青白い。血の気がないと言えばいいのか。寝台が濡れるのも構わず、抱えた男に寝かせろと告げる。
「
……
信一
……
」
狂おしいほど心配をにじませて、血まみれの藍信一を見つめる陳洛軍の横顔。あれほど憎んだ相手なのに、あの男の横顔に似ているかと言われても分からなかった。
「タオルを貸してくれ」
切羽詰まった声に頷いて、ありったけのタオルを持って来させる。必死に傷口を抑える洛軍の力強さに、意識のない信一が吐血した。傷口が深いのか。
「どけ」洛軍から場所を奪い取って、検分する。
体の前からも後ろからも出血していて、赤すぎる血が溢れていく。ありったけのタオルに血を吸わせ、ようやく肌色が見えた。そこで目を瞠った。
「銃槍か」
貫通していることが救いではある。しかし、香港の裏社会であっても銃はなかなか出てくる武器じゃない。王九が九龍城砦を統治していたとき、大陸から銃が持ち込まれた。その余波か、と当たりをつける。
医者が来るまでは下手に動かさない方がいい。止血しながら、不意に、久々に見たと思った。
信一の顔だ。
昔からうつくしい子だった。龍捲風は信一を猫可愛がりしていたし、信一も秋兄貴と慕ってくれた。けれども、そんな関係は当然終わっている。信一は龍捲風の息子のようなもので、その父を殺した相手を、恨んでいないはずがない。
「
……
殺したんだろうな」
信一を撃った相手のことを心から殺したいと思っていないと出ない声に、自分でも驚いた。問われた洛軍はもっと驚いただろう。しかし、彼はそれを出さずに首を振った。
「まだそのへんをうろついてる」
「何だと?」
この男がまずは信一の命を優先したのは分かるが、それでもギョッとした。眉を顰めて、代われと告げる。止血も力がいる。それに、何の衒いもなく揉め事を持ち込んだことを告白されて何だこいつ
……
となったのも事実だ。
「ここに来て、どうなると思ったんだ」
「アンタに殺されても構わない。信一を助けられるなら」
まっすぐな横顔が、疑いもしない瞳の色を讃えている。
きっとこういうところが、あの龍捲風に守りたいと思わせる所以で、信一も十二も慕う要因なのだ。
分かっていても何かの衝動が腹から湧き上がって立ち上がる。護衛から刀を奪い取り、信一を止血し続ける洛軍のうなじに当てた。周囲がざわめているが構わない。そうだ、この日、この瞬間を待っていたのだ。ずっと、ずっと。
「
――
やめた方がいい」
洛軍の静かな声。その背中から発せられる、圧倒的な殺意。
「殺されてもいい覚悟できたが、死ぬ覚悟じゃない。俺はアンタを殺せるぞ」
「
……
お前の命と引き換えに、信一を助けてやると言ったら?」
この男が、己をあの牢獄から救い出した。まるで龍捲風と重なったあの姿を、忘れていない。それどころかこっちは毎晩夢に見る始末なのだ。救えなかった妻子とその悲鳴、何もできない不甲斐ない自分。そして、悲しげな龍捲風と、陳洛軍。いい加減にしろと言いたかった。
信一が再び吐血する。今にも燃え尽きそうな命の前に、洛軍が微かに顎を動かした。
「アンタの命と引き換えに、信一を助ける」
そして本当に振り向いた。こっちは刀を突きつけているのに。わずかに首筋が切れたにも関わらず、洛軍はまっすぐに己の瞳を見る。嘘のない瞳だ。陳洛軍だと知らずに出会った時、いい男だと思ったのだ。城砦の未来を担っていく若者だと。
けれど相手が誰であるか知ってからは、その全てが憎むべきものに変わった。
「なあ、それどころじゃないんだ。信一を救うのに、手を貸してくれ」
本当に死んでしまう。
今にも泣きそうに目が潤む男を、切ってしまえば。
己の復讐は完結する。龍捲風を殺したことだって、もう忘れてしまえばいい。この男が悪いのだ。この男が九龍城砦になんて来るから。だから情の深い龍捲風は、切り捨てられなかった。全部陳洛軍のせいだ。龍捲風が匿わなければ、殺さなくて済んだ。全部、全部、全部!
――
お前は、無茶をするから。
――
もう自分を許してやれ。
「
…………
過ぎた、事だ」
自分を許せなかったのだ、いつまでも。
刀を降ろして、信一の手に触れる。冷たくなっている。あのあたたかな柔らかい子供の手だ。可愛くて仕方がないと、友がいった。失った大切なものがあったはずだ、そのことを忘れてなどいなかっただろう。それでもあいつは見つけたのだ、愛すべきものを。大切なものを。
「医者が間も無く来る。死なせるなよ、陳洛軍。その時は殺してやる」
あいつの愛しい忘れ形見を、失ってなどたまるものか。
「旦那様? どこへ
……
」
「外に出るな」
袖を捲って歩き出す。外では、信一を撃った奴らがまだ探しているだろう。
腕に残る傷は、自分を許せなくてつけてきたものだ。何ヶ月も牢獄に入れられて、体が錆びついている。だけど、ここで何もしなければ、己は毎晩もっと夢を見る羽目になると決まってるいた。
許せなかった。許せなかったのだ。誰も守れず、何もできず、泣き叫ぶだけの情けない男が。そいつを殺してやりたかった。自分を許せないものが誰かを許せるはずがない。怒りでできた体は、けれど監獄の中で削ぎ落とされていった。
自分は誰のため、何のために拳を振るうのか。守りたいものは、何だったのか。
そこにいる確かな命を救えないなら、本当に何の意味もないじゃないかと思ったから。
今更だろう? 哀れな老人だ。考えを変えられずに、固執し続け、ついに過ちを犯した。けれども天は、償いの機会を与えてくれた。
友の息子を
――
守ること。
騒がしい場所を探せば、男たちはすぐに見つかった。ほんの少しも遠慮なく、秋はそこに歩いていく。
汚い言葉の応酬が、突然現れた老人を訝しむ音に変わる。銃や刀を持って、こいつらはあの子を追いかけ回したのだ。撃たれた瞬間に揺れた黒髪と、見開かれた瞳。きっと陳洛軍は、心臓が止まったような心地だったろう。何も考えず、助けを求めた。そういう無鉄砲さが、それでも誰かを救うためのものであるから
――
誰もが男に心を許す。
「
……
お前のためじゃない」
伝え忘れた言葉だ。全部、洛軍じゃなくて信一のためだと、言いたかったのに忘れてしまった。今更どうでもいいことだろう。そんなこと、あの男なら分かっている。
息を吸った。腹に力を入れて、手を掲げる。戦闘体制に入ったことに気がついた男たちが、武器を握りしめる。
ゆっくりと、息を吐いた。
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