hinohi_no
2025-03-22 09:45:27
7770文字
Public 九龍城砦
 

わたしのかわいい子/洛信

なんてったってラブコメ

「信一って……かわいくないか?」
 洛軍の言葉に全員が動きを止めた。馬拉糕を咥えた瞬間の四仔も、海老餃子にタレをかけた瞬間の十二も、そして叉焼飯を口一杯に頬張った信一も。全員が。
「お、おお……そうか……?」
 まず沈黙を破ったのは信一だった。かっこいいとか綺麗とか美人とか言われることはあっても、可愛いはあんまりなかったのは事実なので。
「や、でも、可愛いってタマか……?」
 隣に本人がいるのでちょっと言いづらいが、と十二が首を傾げる。隣に本人がいるのでささやかなオブラートに包んだが、普通に酒一本がぶ飲みしてる時の信一とか可愛くないと思う。隣に本人がいるのでなんとも言いづらいのだが。
「可愛いわけないだろ。信一だぞ」
 キッパリと否定したのは四仔だ。この中で一番信一に塩対応なので然もありなん。洛軍の目がおかしくなった、と言いたげな声に茹でた青菜を口にした洛軍が顔をあげる。
「待て。でも龍兄貴は俺のことを可愛いって言ってくれたぞ」
 洛軍が何か言うよりも早く口を開いたのは、当の信一だった。俺が可愛いかは知らないが、兄貴が言ってくれたことは否定させん。
「龍兄貴は親バカだからな……
「いやいや俺は可愛い。兄貴がそう言うなら絶対そう。例えばほら……えっとだな」
 自分の可愛いところをあげるのって難しい。そもそも言ってきたやつなら分かるだろ、と信一は洛軍を促した。
「あるだろ洛軍。言え、俺の――可愛いところ!」言葉面だけで気が狂いそうだが、背に腹は代えられない。
「ある……
 しみじみと答えた洛軍は、しかし、それだけだった。
――は?」
「ん?」
 もぐもぐと咀嚼し切った洛軍は、首を傾げた。
「いや、具体的に……
「そう思っただけだ。信一はかわいい」
 可愛いって言うくせに可愛い場所を言わないなんて、えっこいつマジで何? 久方ぶりに愕然として、呆けてしまった。その薄く開いた唇に、洛軍が掬ったミルクプリンを突っ込む。
「はむ」
「いっぱい食え……
「は、はい……
 信一が敬語で返事してんの、龍兄貴以外で初めて見た。洛軍て行動が読めなくて怖い。
 王九をぶち殺して九龍城砦を取り戻し、もう怖いものなんてないと思っていた三人の気持ちは一つになった。
 
 
 翌日以降も、洛軍は結局可愛いとしか言わなかった。何がどうとか、どこがどうとかも無い。綺麗とか美しいはどうかと聞けば、それはそうだとは言う。「どう言う感情で……?」と十二がそっと聞いても、「かわいいと思う」しか返ってこなかった。
 あーもう知らん知らんご馳走様でした帰って虎兄貴に抱きしめてもらって寝ますとしか言いようがない。虎兄貴秘伝の頭ポンポンと顎の下ヨシヨシと背中ナデナデしてもらわんと無理だってこんなの。
 しかし、洛軍は言葉にしないだけで、態度で表していることに四仔は勘づいている。いるのだが、それを口にしたら巻き込まれることが本能的に分かっているので黙っていた。
 例えば、これだ。
「信一」
 タバコを燻らせる信一は、窓の外を眺めていることが多くなった。きっと色々考えているのだろう。龍兄貴の代わりとして、自分はうまく立ち回れているのだろうか、とか。本当に色々。
 そんな信一の咥えるタバコを、洛軍が指で掠め取った。一瞬で思案の中から帰ってきた信一に、洛軍は飴玉を代わりに渡す。
……なんで?」
「タバコ代だ」
 まるでタバコが欲しかったから差し出したように言っているが、その実タバコの量が明らかに増えた信一を心配してのことだと四仔は知っている。龍兄貴の病気の話になった時、遠因としてはタバコなんだろうなと答えた日から、隙があれば代わりのものを突っ込んでいるので。
「お前な……そろそろタバコくらい自分で買えって」
 洛軍は自らタバコを買わず、もっぱら信一から掠め取った分を吸っている。そんな様子に、しかし信一は仕方なさそうに笑った。眉が下がっているのは、ちゃんと洛軍の心配が伝わっている証左だ。
「しょうがないやつ」
 思いの外大きな瞳が細まり、目の下が弓形に上がる。ニッと笑って取り出した飴を舌で転がす信一の顔から、洛軍は視線を外さない。そして、いそいそともう一つ飴玉を包み紙から広げて、信一の唇にそっと押し当てた。
……おかわり?」
 まだ舐めてるんだけど、と信一は上目遣いで洛軍に問う。ベタついた飴がふにふにした唇に張り付き、赤い舌がのぞいている。
「要らないか」
 じゃあ、俺が舐める。
 そんなことを言って信一の唇から離した飴を舐めようとするから、ビックリした信一が唇を開く。その隙に、飴を放り込んだ。
「わっ、んむ。急に入れるなよ、飲んじゃうだろ」
 口の中に多く入った飴で、信一の頬がわずかに膨らんでいる。それを見て物凄く満足そうな洛軍は――あれは絶対に頬いっぱいな飴を舐めてる信一を可愛いと思っている顔である。
 なんかその前にめちゃめちゃなやり取りを見た気がするが、四仔には関係ない。
 
 
 あるいは、洛軍は酒を飲む時、時折じっと信一を見つめることがある。信一が空を眺めるように、洛軍は信一が見たいのだ。
「洛軍、食ってるか?」
 当の信一にあまり箸が進んでないことを不思議がられても、腹一杯だからとか言う。
「ほんとかよ」
 くつくつ笑って、信一が酒を煽る。その口の端から、わずかに溢れた酒が喉を伝った。ペロリ、とコップを離して唇を舐めるさまを、洛軍は景色みたいに見つめている。
「食わせてやろうか」
 信一が箸で摘んだ焼売を洛軍の口に運べば、洛軍は素直にかぶりついた。勢いのいい食べっぷりは見ていて気持ちがいいので、信一もどんどん箸を進め、おかわりを積み上げていく。
「うまい」
「そうだろうそうだろう、いっぱい食べろよ」
 洛軍が沢山食べるのを見て満足したのか。顎に肘をついて、信一は洛軍に笑いかける。その信一の顎を摘んで、洛軍は酒を口に含んだ。
 どう〜〜見ても信一のことを眺めながら酒を飲んでいるのだが、流石に友人が昔からの知り合いを肴にしているのは気のせいだと思いたい。
 信一は顎を掴まれたまま「なんか付いてるか?」とか言っていた。ボケナスすぎる。
「飲んでるか四仔?!」
 ばんばんと背中を叩いてくる十二に癒される日が来るなんて。
 
 
 また別の日には、信一が九龍城砦でのいざこざで敵に追われ上階に駆け上がり、複数人に囲まれていたことがあった。
「あれ、信一か?」
 気がついたのは飛行機の轟音に顔をあげたからで、今まさに追い詰められている信一に四仔はどうしようかと思った。自分たちがいるのは一番下だ。今から上階に行って信一を助けるには時間がかかりすぎる。
 その逡巡に対して、洛軍はたったの一言、わずかな間もなく叫んでいた。
「信一――来い!」
 洛軍のその言葉に、信一は一瞬だけ目を見開き、汗を右手の手袋で拭いて笑った。
「落とすなよ……ッ!」
 ――着地は任せた!
 飛んできた信一を洛軍はまっすぐ受け止めにいって、かつて洛軍が怪我をした際に四仔たちが必死に運んだように――信一を抱きとめた。
「降りたぞ、追え!」
 上階の奴らが階段に向かうのを眺めながら、洛軍は腕の中の信一に問う。ちょっと笑っていた。
「なんだ、鬼ごっこ中か?」
「あいつらしつこくて。困ってるんだ」
 ナンパにでもあったような声で愉快そうに言って、信一は洛軍の腕の中で肩をすくめる。肩に顎をつけて、信一は洛軍を見上げたまま、おろさねえの? と唇だけで聞いた。
 おろしたくない。洛軍の全身がそう叫んでいる。四仔としては凄い勢いで降りてくる奴らが近づいているのに、コイツら何やってんだという気持ちでいっぱいである。
「いたぞ!」
 放っておくわけにもいかないので、降りてきた最初の一人を蹴り倒した。チラリと洛軍を見る。まだやってんのかい、信一無限抱っこのターン。仕事しろ。
「オラァッ! 信一ァ! 信一! 信一ァ!」
 敵を信一だと思って殴ることで溜飲を下げる。だが、その隙間を逃れた一人が信一の方に向かった。いや……決して、決してあいつらいつまでやってんだお前の揉め事だろ思ったわけではない。
「洛軍」
 流石にちょっと慌てた信一の声が聞こえたが、洛軍は信一を抱えたまま――その体を上に放り投げた。「ほぁっ……!?」信一が浮いたその一瞬に、かかってきた男を龍兄貴から勝手に受け継いだ竜巻のような掌底でぶっ飛ばし、洛軍は信一を受けとめ直す。
「お、おう……
 ぱちぱちと瞬いて驚いている信一が、今更ながら「重くねえの?」と聞いた。
「ああ、軽い。信一は羽が生えてるんだろ、ずっとこうしてられる」
「嘘つけ〜〜、すぐに根を上げるぞ。賭けるか?」
 告白みたいな言葉に、洛軍の首に腕を回して信一が笑う。洛軍がニコ……と眺めているのを四仔は震えながら見ていた。
 本当に絶対そう思っている。
 
 
 ◆
 
 
「もう頭に来たぜ、洛軍に俺のことを可愛いって沢山言わせてみせる。具体的に、な……
 麻雀牌を右手の二本で摘んで、信一は謎の宣戦布告をした。最初に可愛いと言われてから二週間が経っている中で、ついに我慢がならなくなったらしい。奇遇な話だが、四仔も見せつけられる諸々にそろそろ限界を迎えていた。
「かわいいだけじゃ駄目なのか」
 洛軍が聞くが、ダメだと信一は首を振って断る。
 四仔はため息をついた。
 散々な四仔の回想はどうやら信一の記憶にはないらしく、信一は顎に手を当てて「洛軍が俺に可愛いと思うこと……」なんて思案している。考えるな、思い出せ。半端なくそう言ってやりたかった。
 ――が、信一は麻雀卓の上に突然登って、高くから洛軍を見下ろした。当然牌はバラバラなので、十二があと少しで大勝ちだった気配を逃して固まっている。
……可愛いか?」
「めちゃめちゃメンチ切ってる黒社会。頭とか踏んでくるタイプ」「絶対にこれから殺すやつの一生の思い出になる顔。あと麻雀が劣勢だったから今チャラにした顔。最低」「お前らには聞いてねえ」
「かわいい」
 長い足とすらりとした四肢、その全部をちょうど下から見上げて、最後に信一のパーマのかかった髪が一房頬に落ちた瞬間に、洛軍は言い切った。四仔と十二の感想は前述の通りだが、きちんと可愛かったらしい。
「じゃあ、これは?」
 卓から降りて、信一は洛軍の膝の上に、向かい合わせで――そのまま乗った。逆向きの椅子に座るように。
「アイツ、本当にどうにかしろ……いつか刺されるぞ」「龍兄貴、どうして躾けといてくれなかったんですか……もうそろそろ三十の男を……
「かわいい」
「可愛いか……
 洛軍は信一の瞳を真正面から受け止めて、目に可愛いを滲ませながらその腰を抱きしめた。なお信一は腰を抱かれていても、「洛軍なんでも可愛いしか言わねえ〜〜」と天を仰いでいる。負けた気分らしい。
 上を向きながら反芻するのは、龍兄貴に可愛いと言われた時のことだ。喧嘩をした時や、俺のことなんてどうでもいいのかと思春期ばりばりで話す時に「ばか、可愛くないやつを後生大事にしたりするか?」と彼は言った。
 これかな、と顔を戻して口を開く。
――俺のこと、大事か?」
 額と額がくっつきそうな距離で、洛軍の瞳を覗き込んだ。まっすぐな目。
「一生、お前を守る……愛してる」
 コツン、と額がくっついた。
…………タイム」
 洛軍の腕と体から抜け出して、信一はそっと自分の席に戻った。それからタバコを取り出して、深く吸いながら火をつける。そうして、沈黙の後口を開いた。
「洛軍って――俺のことが……好きなんですか……?」
 話すにつれ音量が小さくなり、最後は疑問系で二人に問うていた。声が上擦っている。
「今更何照れてんだ」
「て、照れてないです……。その、はあ、あ〜〜そ、そうなんですか……愛してたんですか……
 顔を合わせた手のひらで覆って、背中を丸めた。
 だって、龍兄貴みたいな感じで返ってくると思っていたのだ。可愛い可愛い言ってるのも多分ノリかとね? 思うじゃん? 思ったのに。
「う、うう、う……そういえば着地を受け止めてくれた時も格好良かった……
「思い出したかクソ黒社会」
「ど、どうすれば良い? 教えて四仔先生、心拍数が上がって胸が苦しくて恥ずかしいくらいドキドキしてるんですけど」
「即死ぬ」
「今!?」
 顔が赤い気がするし、体が火照ってて、体温も上がってるかも。
「詳しくはお隣の洛軍に聞け」
「えーっちょっと今は顔を合わせにくいというか」
「信一」
「はい……
 いつもの麻雀卓の並びなのである。顔を合わせるどころではない。名前を呼ばれて無視をするには距離が近すぎる。
「俺は聞かれたから答えただけだぞ」
 笑っている洛軍は、それなりに面白がっているようだった。それから、灰を落とすのを忘れた信一のタバコをまた奪う。洛軍はいつも、想像よりずっと強かだ。
「大事だし、愛してる。そしてかわいい」
「言う順番がおかしくねえ? 俺、自分が好きなやつに、単にアプローチしただけ、みたいな」
「かわいかった」
 た、楽しんでた……
 今更ながら気づいたが、洛軍の可愛いって多分好きの同義語である。だからどこが好きと聞いたって、コイツのことだから全部好きだったのだ。求洛軍翻訳機、譲四仔先生。
「はっ……というか、俺の大勝ちは……」十二が我に返った。今じゃない。
「十二、寝てろ」
「ずっと起きてましたけど!?」
 タバコも奪われてどこにも感情に逃げ場がない。本当にどうしよう。とりあえず十二自慢の髪をくしゃくしゃに撫でて落ち着こうとする。助けてくれ。
「信一」
 呼ばれて顔を上げたら、ふーっと紫炎を思い切りかけられた。丸く見開いた目に、洛軍の楽しそうな顔が映っている。目を細め、愛情いっぱいの表情で、洛軍は後でな、と席を立った。最後に信一の頭をポンポンと撫でて。
……え、え?」
「タバコの煙をかけるのって抱くぞみたいな意思表示だって虎兄貴が言ってましたぁ」
「ぜんぶ言うじゃん」
 呆然としたまま去っていった洛軍の背中を思い出す。抱くって、俺を?
「っ……しばらく留守にするけどよろしくな!」
「は?」
 大慌てで立ち上がる。まずは船の手配だ。服も詰め込んで、大丈夫九龍城砦を離れるのは初めてじゃないどこでも行けるし何でもできる兎に角今はここから離れなければ。四仔と十二が何か言っているが聞こえない、まず、まずは、そう――戦略的撤退を。城砦の人間はそもそも逞しいのでちょっとくらい留守にしても問題ないし、何かあっても三人がいる。転がるように部屋に飛び込んで、それからバクバクと鳴る心臓を抑える。
「だっ……
 汗が滲んでいる。顔が熱いまま。
 抱くって。
 想像しただけで格好良すぎてどうにかなりそうで。このままでは危ない。まずイメトレをしないと――おそらく俺はキュン死する。
「よし、まずは船、ええと荷物……
 部屋をひっくり返して何でも良いので詰めていく。いやもう現地調達でもいい。どこかでのんびりビーチでも眺めよう。リュックを背負って勢いよく部屋を飛び出す。
 ――そこに、洛軍が立っていた。タバコを吸いながら。
「ご、ごきげんよう……
 心臓が止まるかと思って訳がわからない言葉を口走る。ゆっくりと煙を吐いて、吸って、それから洛軍は俺を見た。眉をちょっぴり下げて。
「俺じゃ駄目か?」
「駄目じゃないです……ッ」
 崩れ落ちて敗北した。四仔先生が言った通り、今日は即死の日だ。それなら良かった、とニコニコの洛軍に腰から抱き止められ、そのまま部屋の扉は閉まり――まあ、なるようになったワケだが。
「可愛い、信一はかわいい、どこもかしこもかわいい」と三日三晩囁かれ続けた俺は、ようやく解放されたのち、自分が可愛いと信じて疑わなくなったのであった。
 俺って可愛い! アイリス・アウト!