hinohi_no
2025-10-19 22:45:32
2325文字
Public トム関係
 

見知らぬあなたへ/MIFR

ルーサーの話

ルーサー・スティッケルにとっての、イーサン・ハントのこと。
なにしろ長い付き合いだ、一言で表すのは難しい。そもそも、言葉で表せないから人なので無理だということもある。人が先で、言葉は後にあるものだから。
それでルーサーが思うのは、イーサンを疑う人はみんなイーサンを見ればいいと言うことだ。見てみるといい。どんな権力にもとらわれず、飛び出していく姿。それが自分のためでないから、誰にも止められない。イーサンは誰かのために、いつも走っている。愛する者のため、チームのため、見知らぬ誰かのため。
初めて会った時、俺は随分若くて、イーサンもそうだった。
エベレストに旗を建てよう! そう言って笑えるほど、俺も善性だけで生きてきたわけじゃなかった。IMFの誓いを心底理解しようと思ってたわけじゃあない。
けれども君が駆けて行く姿、どんな時にも諦めずに手を尽くし、悲しみに打ち震えながら立ち上がる横顔を見ていたら、こんな奴がいるのかと思ったものだよ。
無茶ばかりしてた時は心配で仕方なくて、掴んだ幸せを相手のために手放して、いつか君は正しいことを選んでいた。いいや、いつもだったろう。誰かのために誰かを危険に晒すことになっても、その両方を掴んで離さないと大真面目に言うのが君だった。
誰かは君を疑うだろう、誰かは君を疎ましがるだろう。それでも君は君を誇るべきだと思う瞬間。信じてもらえずに、けれども誰かを信じてぼろぼろの君が、俺を見ればほころんで目を細めた。

ルーサー。

百億万の信頼と愛情が込められた声が、いつだって俺に託されていた。その時、不意に思ったのだ。
イーサン・ハントがジム・フェルプスに裏切られなければ、きっと俺たちは出会うことのない、見知らぬ人間だったのだと。
街ゆく人々、今にも世界が終わりそうだったなんて知らない平和な会話、雑踏の中にあるひとつひとつの人生。未知だったかもしれない君。
三十年も経てば、世界だって変わっていく。それでもイーサンは変わらなかった。あるいは変わったのかもしれない。もっと世界に尽くそうとしていたように、俺には見える。愛するものを手放して、でも結局君は誰かを愛してしまう。すれ違っただけの他人に心を尽くす。巨悪と対峙してなお引かず、どれほどの画策にも負けまいとしてきた。いつかIMFを辞めようとしていた傷ついた若者だった、君がだ。君は痛みを乗り越えて、この仕事を選んだ。君が守る世界で、君が愛するものが、誰かが愛するものが生きている。
見知った仲間と見知らぬ他人と、その命に差があるのは当然だと思っていた。けれど未知の人々が、もしかすれば君だったかもしれないと思う。どんな未知の人々も、友人だったかもしれない可能性を経ているのだ。年を経て、体もままならなくなって、誰かの世話になることもある。見知らぬ他人だからといって、その人生の重さに差などない。
ほんのわずかなことで世界は差異を見つけ出し、騒ぎ立て、それを追い立てようとする。それにデジタル世界は汚染され切って、フェイク情報は世界の分断を駆り立てた。

だからこそ、思うのだ。あるいはそれが俺に石を投げる人であっても――その人々が、未知の人であったとしても。

世界を救うなんて、人生で一度でも行えば十分な行為を俺はイーサンと共に何度もしたよ。それは僥倖なことだ。
善を成すことはそれほど難しいことだろうか? そうかもしれない。けれど、ほんの僅かな善性にしがみついて、必死に食らいついて離さないでいることを、我々はしていかなければならない。それが結果として試すことになるのは、きっとその善性なのだ。どんな国のどこに生きる誰だって、同じ人間であること。どんな未知の人々にも、その人生が存在していること。過たず、己の選択を行うこと。
最初は真に分かってなんていなかったよ。それでも、今はIMFの理念を噛み締める。この言葉が、俺の背中を押す。勇気をくれる。言葉は人のためにある。

君と駆けた三十年は、とても長かった気もするし、短かった気もする。あっという間だったよ。何度も何度も、何度も、何度も、君は走った。目に焼きついて離れない。たくさんのものを失って、けれど振り返る暇もなく君は立ち上がる。誰よりも傷ついて、誰よりも苦しくて、けれど世界を破滅させないために、君はゆく。

ルーサー。

今にも泣きそうな顔で君は俺を呼ぶ。今まで何度応えてきただろう。もう思い出せないくらい、一緒にいた。だけど今度は応えられない。俺が逃げたらたくさんの人が死ぬと思ったら、そっちの方が怖くて仕方ないんだ。かねての俺が見たら逃げろというかもしれない。でも、これで良かった。
俺は幸運な男だよ、イーサン。だってそう、君のことを信じてる。
お前がこの先も諦めずに前を向いて走ってゆくことを、誰よりも知っている。そう思えば怖くはない。お前がいることが、俺の人生に悔いを残さないことなんだ。俺は全力で生きた。だから、この選択は正しい。そんな風に生きて死ぬことができることを、何よりも誰よりも感謝している。
唯一無二の友である、兄弟である、君に、お前に、あなたに。イーサン・ハントに。

そうだろう、だからゆくんだ。振り返らずに、どれだけ辛くても。
君が駆ける姿を見れば、誰もが黙って打ち震える! 誰かのために走る姿に、胸を打たれてやまないから。
ルーサー・スティッケルにとっての、イーサン・ハントは。
兄弟で、親友で、仲間で、チームで、平和で、愛で、世界で、たった一人の――うつくしく煌めいた、望外の喜びであったのだと……誰より俺が知っている。

イーサン。
君に会えて、良かった。