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hinohi_no
2023-08-22 00:24:08
3713文字
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インド映画
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あなたに会えて良かった/わたしの愛した怪物よ
KGF カシムとロッキーの話
欲しいものがあると言った少年の美しい瞳に、魂ごと射抜かれたのを覚えている。
警官に散々殴打されたであろう体は一人で歩くこともままならず、どこを触っても痛いに決まっていた。気に入った、とボスであるシェッティはその少年を迎え入れた。そのイかれた子供に可能性を感じたのだろう。少年は靴磨きから、シェッティの下っぱになった。
「っう、ぅ
……
」
寝床もない少年を満身創痍のままボンベイの路地に返すのは躊躇われ、カシムはその少年を自分の家に連れ帰った。怪我の治療が終わるまでの間だけ、ほんの数日。これほどの怪我を負いながら言い放った言葉を忘れられないから
――
包帯を巻いて、頭に絞ったタオルを置いてやる。
「っ
……
」
怪我から炎症が起きて、熱が出ているのだろう。部屋に連れてこらせた時点で、少年は苦しそうに呼吸をしていた。普通だったらもう死んでいてもおかしくない。
冷たい水なんて用意してやる義理もなければ、調達も難しい。すぐに少年の熱で熱くなってしまうタオルをとって、また水につける。子供は大人よりも体温が高くなるものだが、それにしたって熱すぎる。
カシムとて、善人ではない。だからなおさら、ただの子供にここまでしている理由を聞かれると言葉に詰まると思った。
「
……
母さん
……
」
熱に浮かされた少年の小さな声に、僅かに手を止めた。
たった一人でボンベイの路地にいる子供だ。どんな素性かなど、たやすく想像がつく。カシムだって、他の少年だってそうだ。そう思うと、この少年もただの子供に見えてきた。心のどこかに、失望と哀れみが湧く。
いや、出会ったばかりの少年に、そもそも己は何を期待しているのか。
何が欲しい、と問うた言葉すら、子供に放つものではなかったのだ。十いくつの子供が、そんなこと分かるはずがない。生きるのに精一杯。その先なんて見えないはずだ。少なくとも、カシムはそうだった。
――
この子は違う。これまで出会った誰とも別種の、見たことがない星である。
予感めいて直感じみた、カシムの全身全霊がそう告げた。そうやって信じて、怪我の手当てをして、こうして看病をしている。
そんな勝手な希望を抱いて、どこにでもいる子供のような寝言に勝手に失望している。生まれてから何十年も生きているのに、この子供の何倍も過ごしてきたのに、どうしようもない大人だと思う。自分の不甲斐なさに愕然とする。
それでも、ただこの子を死なせたくないと思った。
己のエゴなのかもしれない。勝手なことをしているのかもしれない。けれど、この少年を
――
その名を、この子の口から聞くまでは。
目を開けると、子供がいなくなっていた。
「
……
?!」
どこに行った、と慌てて室内を探すも見つからない。不意に海の音がして、外からもしれないと扉を開ける。
「
――
もう動けるのか」
水平線の彼方を眺めて、包帯に塗れた少年は立っていた。
「
……
手当てをしてくれて、感謝してる」
まだ血が滲む包帯だ、治っているわけがない。けれど一晩散々寝苦しさに喘いでいた少年は、カシムを見て口を開いた。
その凜とした音、黒くまっすぐな瞳、どれだけ打ち据えられても立ち上がる姿に、星に撃ち抜かれた衝撃が蘇る。己はおかしくなったのだろうか。分からないまま、突き動かされるように唇を開く。
「あの言葉は、本当か?」
子供になげかける疑問ではない。けれど、カシムにとってその少年は他のどの人間とも違ったのだ。大人や子供の括りを超えて、神に出会った時のような衝動を覚えている。
勝手に期待し、勝手に失望した上で
――
今、その呼吸ひとつにすら胸がざわめていた。さざなみですら、少年に怯え、猛り、祝福していると信じられる。
「ああ。俺は世界を手に入れる」
隣に立つのが齢十の少年ではなく、対等にあるべき人間でもなく、己が仕えるべき王であることを。
ただ、心と魂が理解した。己の人生はこの子に出会うためにあったのだと。
そのまま頭を撫でれば、少年は少し驚いたように目を見張った。何度か撫でて、それから「朝飯だ。食べれるか?」と尋ねる。困惑したような肯定の返事に微笑んだ。食欲があって良かった。熱も引いたようだし、きっと怪我もすぐに良くなる。
「俺はカシム。お前の名は?」
既に字面も音も知っている。けれど、カシムは本人の口から聞きたかった。
少年が顔を上げる。目線の高さは違っても、決してそこに差はなかった。少年の見据える先は、カシムよりも遥か彼方にあるのだと信じられる、黒曜石に映る星の輝き。
「ロッキー」
人生で初めて出会う、ダイヤモンドのように美しく燃える流星であった。
◆
己の頭を撫でた手のひらを覚えている。
ボンベイで生きる己をずっと見守り続けて、一緒に生きた少し皺が刻まれた手だ。
お袋が亡くなって、殴られ続けるばかりだった己を初めて撫でたその手のひらに、自分でも驚くほどに動揺したことが
――
今はほんの少し、懐かしい。
「ロッキー」
泣きそうな声を落とし、いいやほとんど泣いているのか、叔父貴が立っている。
どうしようもないほど愛した彼女の葬式は終えた。あとは旅立つだけ。誰しもに行けと命令して、何か言われても首を振って聞かなかった。こうなれば止めることができないと分かっているのだろう。聡く強い者たちだった。
賢明な部下を持って、民衆がいた
――
全てがあった、この場所を。
それでも己は振り返らない。
ただ、あなたに祈り、仰ぎ見る。
「叔父貴、まだいたのか」
煙草をトントンと叩いて、火をつけて吸う。早く出ないと国軍が来る。国家権力でもうすぐここは跡形もなくなるだろう。何をモタモタ、と言おうとして
――
胸に衝撃が走った。
背中まで暖かな体温があって、それが叔父貴に抱きしめられているせいだと気づけば、息をするのも忘れるような面持ちだった。
「いく、な。ロッキー、このまま、遠くに
……
」
幼い頃の、見上げた人を思い返す。
頭を撫でて、食べ物をくれた手。母を思い出し胸が詰まった時に、撫でてくれた。何歳になっても。ずっとずっと、心配してくれていた。
まるで父親のようで。暖かな何かで。どんな時も大好きだった人。
「せめて、俺も一緒に、」
そう続けようとする言葉に、目を瞑る。ああ、本当に。
ぎゅうぎゅうと抱きしめてくる腕を掴んで、ゆっくりと離す。
なあ、アンタが頭を撫でてくれたこと
――
本当に嬉しかったって知ってるか?
怒られたり、叱られたり、嗜められたり、心配されたり。アンタがいたから救われたガキがいた。アンタが一緒に来たら、きっとそのガキは怒るだろう。恩知らずのクソ野郎と罵ってくる。まあ俺だって、そう思う。
身に余るほど、どうしようもなく愛してもらったことを、忘れるはずがないから。
だから、ラジャ・クリシュナッパ・バイリヤは息を吐く。彼の愛したものを、余すことなく愛すように。
その答えを、きっとカシムだって最初から分かっていた。それでも吐露せずにはいられないほど、彼はただ、あの時射抜かれた少年を愛していた。あの日からずっと、今日まで。共に夢を見ていたから。
「
――
独りでいく」
深く刻まれた眉間の皺はなく、無垢なほどの瞳でそう告げて、ロッキーはカシムを外に促す。
第3鉱区の閉鎖報告をグルパンディヤンだけが聞いていたことを、カシムとロッキーだけが知っていた。だから、あの時第3鉱区から敵が侵入したことを聞いて、すぐに黒幕が分かったのは二人だけなのだ。
止められたのは己しかいなかった。それでも、血まみれのロッキーの表情だけで、止められないと悟ってしまった。いつだって、ロッキーを止めることなどカシムにはできなかった。
今だって。いつだって。ロッキーは、カシムの言葉を聞いてくれることはない。
死なないでほしいと、お前に生きててほしいのだと、カシムが泣いて縋っても、何の意味もなさないのだ。それが、成すことを決めてしまった、ロッキーという流れ星にあっては。
ただ、お前が俺に生きていてほしいと願うなら
――
きっとそれが愛なのだと。
「
……
ロッキー! お前は、世界を手にした
――
祝福されし男だ」
ロッキーの美しい瞳を見返して、涙を堪えて言い放つ。
「俺の誇るべき、たった一人の息子!
……
愛してるぞ!」
目を伏せて、ロッキーが頷くのを見て、カシムは踵を返す。この愛はきっと伝わった。ずっと伝わっていただろう。ロッキーが瞼を伏せる癖を、カシムはよく知っている。
お前に出会えて良かった。お前と駆けた人生で良かった。お前という怪物を、それでも美しいと知れたこの二十年は、何よりもずっと輝かしい日々だった。
あの日、母を求めていた小さな少年は、大海原へと繰り出していく。
世界全てを手に入れて、私が全てだと証明して
――
誰よりも美しく、誇り高く、まっすぐに駆けていった。
この世にたった独りの怪物は。
多くの人間に、世界を制覇できるほどの人々に、父親のように慕った人間に
――
抱えきれないほどの愛を受け取って、その祈りを結び直す。
あなたに会えて良かった/わたしの愛した怪物よ
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