hinohi_no
2023-07-27 23:05:40
2337文字
Public インド映画
 

いつか出会うあなた。/KGF

2の語り手、ヴィジャエンドラの語る父、そしてロッキーの話。

父親が母にも子供である己にも興味がないことを認めるのは、苦痛だった。
ジャーナリストとしての父はその緻密な取材と言葉の正確さ、丁寧さから尊敬を集めていて、己もそんな父親の記事を見るのは好きだった。
父の語る物語は、子供に聞かせるには血生臭くて、けれどワクワクした。そんな皇帝がいたの? そんな勇者がいるのなら、僕も会いたいと何度も思って――思って、思って、思って、何年もの月日が経てば。
父の語るエル・ドラドは、夢物語で。母の葬儀にも大きな悲しみを見せず。己がタバコを吸っても何も言わないことに気づく。純粋だった子供は大人になってしまう。
興味がないのだ、この人は。
ロッキーにしか、KGFの物語にしか興味がない。母も己も父を愛したのに、父が愛しているのはロッキーだ。それが辛くて、苦痛で、嫌で、家を出て。

――百万回と聞かされたロッキーの物語は、父の書斎に残る数多の記録とともに音を紡ぐ。紙の上、一人の男の狂った話は、夥しいほどの証拠に少しずつ輪郭を成していく。こじつけだと笑い嘲っていた己の目の前に積もってゆくもの。決して写真に撮られず、記録に残されることも好まず、ただ一代で死んでいった母と息子の物語。
そこに生きた証があるせいで、彼の証明のため、父がどれだけすべてを捧げたのか分かってしまう。嘘でもいいと思いながら言葉にした数々に、激情と血肉が宿っていて。だから、父の無念が分かるのだ。そういうふうに、この願いの物語は綴られている。古ぼけた紙は、何度も何度も書き直した跡があって、数日も悩んでようやく一文字書けたことが窺い知れる。
その労力の、執念の、狂気の、愛の――ほんのひとかけらでも貰えれば。

どうしてだろうか。あなたは私を愛しはせずに、行きずりであっただけの他人を愛した。どうしようもないほど惹かれて、彼と旅をするのだと。歴史から消され、歴史の表舞台に出なかった犯罪者の生き様を記すために、自分の全てを捧げると決めた。
どうしてだろうか。私がタバコを吸っても何も言わなかったあなたの瞳に、ほんのわずかな郷愁があったことを思うのは。愛したものの影を追い、その紫煙の先にあった懐かしい皇帝を見ていた。私は確かにここにいて、あなたを家で待っていたのに、あなたは旅から帰ってこない。
どうしてだろうか。あなたの家はここではなかった。あなたは美しい嵐のもとにだけ帰りたかった。どれだけ私を見てと叫んでも、その人生ごとロッキーをつづるインクであった。

百万回と聞かされたロッキーの物語を、初めて聞くような気持ちで語っている。あなたのこころを追うように。ダイヤモンドの男の輝きが、嵐のように心を奪う。ここにいる全員が、こんな夢物語に夢中になっている。私を含めて。
そんな嵐に出会ったら、他の何ものも見えなくなる。
父が選んだ道は、砂と血と泥にまみれてなお美しいその王しか見えない道だ。航海で出会う嵐を前に、我々は唯一光だけを頼りに海を彷徨う。父の光はロッキーだった。
くらい闇に、いばらの人生に、ロッキーに出会ってしまったアナンド・インガラギは。

「今も、」
撤収作業を終えたディーパに話しかけられ、部屋を眺める目線を向ける。彼女はジャーナリストとして、真実を追うものとして、ロッキーの人生と、併せてアナンド・インガラギの人生を知った。
「お父上を狂っていると?」
この部屋を見れば、父がどんな思いでロッキーを集めたのか、いやでもわかる。父の友人だという記者には随分睨まれたが、そんなことはどうでも良かった。人は側面からしか他人を見られない。息子から見えたアナンド・インガラギが最低だったことは事実だ。
けれど。
……もちろん」
病院で管に繋がれる父が、望んだこと。そのために駆けたすべての時も、膨大な資料も。

「狂っている。人を愛するとは、おそらくそう言うものだ」

――全部、ロッキーへの愛で、賛美で、献身だ。
正直者だとロッキーに称された父は、決して嘘だけは吐かなかった。この物語も、愛の矛先も、エル・ドラドの本ですら真実なのだろう。今はそう思える。
ロッキーの言葉を誇りとして胸に抱えて。ロッキーの仕草、行動、理念、過去を知るたびに宝物だとかき集めた。
「あなたは? ロッキーをどう思う?」
ディーパは筋金入りのジャーナリストで、どんなことも知らなければ気が済まない。本当は踏み込んでほしくないヴィジャエンドラ・インガラギのこころのことも。
……
他人の人生の生き方も何もかもを捻じ曲げて、それでもすべてを持ちえて逝った王のことを。
恨もうと思えば恨めたけれど、不毛な嫉妬だと分かっている。愛して欲しいと叫んだ子供の嘆きだ。
誰に愛されなくても良かった独りの男が、誰しもに勇気を与え愛されたまま、こころを奪って去っていく。自分勝手で、自由で、何にも縛られない――母との約束に生きたひと。
父のこころを造ったのが、それだと言うのなら。百五十万人の心に今も棲み続けるなら。それは神話でも、英雄譚でもない。たった一人の人間が、生きながらにして神になる。いなくなっても誰かの中で生きている。
死者の分際で、父の愛が欲しかった子供からその愛すらも奪ってしまうなら。それは。
きっと何よりもおそろしくて叶わない。死ぬまで父を支配する清冽なるもの。見たこともない。あったこともない。私はあなたを知らないのに、あなたの生き様がこうして今も綴られていく。幼い頃に聞いた、いるはずはないと笑ったひと。
けれど、いつかはこうして対峙する。私の欲しいものを、鮮やかに奪っていった美しいそれは。

「私にとっての、怪物だ」

私と母を仰ぎ見ない、父が愛したモンスター。