hinohi_no
2023-07-27 00:27:57
2726文字
Public インド映画
 

あなたは世界のすべてである。/KGF

Chapter1の幕間。カマルとロッキー。

「カマルを怒らせたな」
赤い照明で、目がチカチカする。
遅まきに酒の眠気が襲ってきながらガルダ暗殺のプランについて話し終えたロッキーは、立ち去ろうとした足を止めた。目を擦るほどでは流石にない。
「お嬢さんの用心棒には力不足だ」
ラジェンドラ・デサイの店にデサイ自身を呼びつけて、ガソリンの立ち込める中ロッキーは髭の下の唇を動かす。リナとロッキーの話にわざわざ腹を立てて割って入ってるのはカマルであって、そんなのは奴の勝手だ。
「あれは望むならリナの婿候補だ」
「へえ」
恋敵ってやつか、胸が張り裂けそうだ。言いながらロッキーは水音を立てて歩いていく。ついでのように酒を手にとって、タバコをくゆらせて。
ガソリンの上をマッチ片手に歩くなんて正気の沙汰ではない。だからこそ、ロッキーはガルダへの暗殺者として選ばれた。正気な奴が、ガルダに手を出すわけがない。
一番イかれたやつを呼べ、と命じたのは誰だったか。それがボンベイに名を馳せたロッキーだったわけだが――ここまで手に負えず、ここまでイカれているとは。
流石に予想の外だった。
ロッキー。ボンベイのシェッティが未だボンベイを死守できているのは、ひとえにこの男のおかげとの呼び声が高い。ガルダの路地からのルートはないと踏んでいたアンドリュースもダヤも、そしてデサイにも見えていなかった視点を、わずかな時間で完璧に調べ上げている。有能で強い。
それだけならいいが。
この抗争に一石と投じるための手は、本当にそれらの支配者の首を掻き切らないか。我々は何かを見誤っていないか。
デサイは知らない。アンドリュースは知らない。ダヤも、シェッティも。ロッキーの真価を知らない。ロッキーが欲しがっているものを言葉では聞いても、真に理解などできない。それがただの人間ではなく、一線を超えたところにいることを。あるいはそれを、その圧倒的な暴力と信念と献身を、彼がもたらす悪の平安をもって――人は神と呼ぶことを。
王の器を見破れるものは、王の家臣かまた王であるもののみ。
誰もが王になることを夢見たものたちに、ロッキーの真価は永劫わかりはしないのだから。


角を曲がって外に出た瞬間、肩を掴まれて壁に押し付けられた。自分で言うのもなんだが、この重さの体を動かしただけで褒めてやってもいい。
「ボンベイ男」
敵意をあらわにして、カマルはロッキーを睨みつける。ほんのわずかカマルの方が背が高い。瞬きとともに視線を合わせる。
タバコの煙を吸い込んで、肺に満たす感覚がじんわりと滲む。酒とタバコはロッキーの生命線で、愛すべき毒物である。
「リナにもこうしたって?」
なんでこいつリナの彼氏ヅラしてんだ? と思わないでもないが、シャワーと酒を浴びながら彼女のことを想っていたら、本当に彼女が現れたのは良い思い出だ。その時に壁に彼女を押し付けて色々喋った。それを意趣返しにやられているらしい。彼女にやられたらどれだけ嬉しいか分からないが、相手はカマルである。
……彼女の怒りに満ちた表情を、ロッキーを睨みつける瞳を、わざわざ会いに来てくれる意地らしいところを、嫉妬と挑戦を、可愛いし愛しいと思う。あんな綺麗な女は見たことがない。彼女を一目見た瞬間胸が焼かれたみたいに熱かった。あるいは、喉元を過ぎるアルコールみたいに焼けてたともいう。
「調子に乗るなよ。女の扱いは俺の方がうまい」
ふー、と紫炎と共に息を吐いて、カマルを殴るか考える。考える前に殴ってもいいのだが、任務はこれからだ。殴って殺すか、殴って喧嘩するか。もちろん前者が話が早いけれど、カマルがこれ以上ここでロッキーをどうこうするつもりがないのも分かっている。せめて八つ当たりでもしないと耐えられないのだろう。

母との誓いのために必要なものを、ずっとずっと探している。
それが見つかる予感があった。ボンベイに寄せて返す波が、ほんのわずかな漣に思える程度に――欲しいものが、すぐそこにある。

これ以上軽口を叩いても、カマルをより怒らせるだけだ。どうせすぐに去るだろう。深くタバコを吸って、瞬きをする。殺した方がいい時が来たら、まあ殺すが。
「失敗したら、血まみれにして吊るして、お前の口に銃口突っ込んで殺してやるからな」
いい趣味だ。ちょうど先日、ロッキーを血まみれにして吊るして肉切り包丁で解体してこようとした相手がいたが。
……先に焼死したいか?」
タバコの火が赤くなるのは、吸う時だ。カマルの足もロッキーと同じく未だガソリンで濡れている。壁にロッキーを押し付けて話している間に、じゃぶじゃぶのガソリンを踏んできたロッキーの靴から、地面にガソリンが染みている。今赤く灯るタバコを落とせばいい感じに燃えるだろう。別に己は炎程度どうってことないが、カマルは別だ。
「チッ」
その危険性くらいは理解したらしい。ガソリンに怯えてリナから目を背けた男らしい。舌打ちとともにカマルはロッキーから体を離し、デサイたちが出てくる前に去ることにしたようだ。権力者は土地に生まれる。カマルは跡を継いだだけの、元からの権力者だ。何も持たなかったロッキーの母とも、ロッキーとも違う。

全部、この世の全てを――ロッキーは己のものにしたい。

ただ、あなたのために。あなたとの誓いを果たすために。あなたが皇帝を望んだから、己も王になると決めた。あなたの願いを、思いを、人生を――確かだったとするために。
わたしが全てであると、証明する。

タバコを落とす。ガソリンの染みた地面に火が起こる。それをものともせず、地面を踏みしだいて。炎など熱くない。氷など冷たくはない。あなたがずっと、守ってくれた。どんな拳も暴力も、痛みも屈辱さえも、ただ死ぬことを思えば怖くないのだ。
本当に恐ろしいのは、恐怖で汗が滲むのは、己が何も果たせずに死ぬことだ。
それ以外のことなんて、何一つ怖くない。誰を敵にすることになっても。
目を閉じれば、瞼に張り付いたように母が浮かぶ。だからロッキーは誰も怖くないし、誰の味方でもないし、友も要らない。たった一人でいい。一人きりでゆくだろう。
愛すべき毒物である酒を煽って、すぐにあまり酒が残ってない瓶を持ってきたことに気づく。喉を数回通っただけでなくなって、舌を出して最後の一滴を受け取るようにするも僅かなものだ。失敗した。かぶりを振って、まずは酒屋だな、と歩き出す。その足どりは少々怪しいけれど、デサイの店から出てきた男にちょっかいを出すやつはいない。


今夜は何の夢を見るだろう。
母のものであればいいと、空を見た。
それが、ロッキーというにんげんのすべてだった。