hinohi_no
2023-03-22 15:41:07
4075文字
Public ザファ
 

アンノウン・イエスタデイ

ザファ。とある沖縄OBと宮城の、山王戦後の話。4072字。

 バスケ部の中にあって、決して高いとは言えない身長。ワックスで固めた髪、ウェーブのかかった髪先。赤と黒のリストバンド。湘北高校にあって、パスの繋ぎ役――ポイントガードを務める男。
 日本一のガードである深津のうまさは誰もが知るところだ。冷静な判断力。的確なゲームメイク。ディフェンスもボール運びも、何もかも水準を大きく越えている。バスケットは誰一人欠けられない球技であるが、中でもポイントガードが重要なことなど、誰だって分かっている。エースの爆発力には見劣りしても、ガード抜きのチームは存在しない。
 それでも、その深津と相対してなお――湘北の7番は、いいポイントガードだった。
 特に終盤にかけて、誰もが気負う一本において笑って落ち着かせて見せる胆力。ドリブルの速さと、フェイクのうまさ。あるいは俯瞰力と求心力。
 その伝説的な試合運びは、残り一分で更にとどまるところを知らず観客を興奮させたし――あるいは、すでに試合が終わっていた、見る予定のなかった人間たちに足を運ばせるには十分な熱狂だった。
 沖縄代表。
 その応援に来ていたOBの一人が、彼を見つけるに、十分な条件が揃っていたともいえる。
「みやぎ……
 呆然と呟いた、かつて沖縄代表の主力でもあった選手は、その名前を呟き、走り出した。
 
 
 
「おい、7番、そこの7番……お前やちっこいの!」
「あ?」
 試合終了後、興奮冷めやらぬままコートを去り、花道は即安西先生と病院へ。残った面々が体育館の外に出たところで。
 失礼極まりない呼びかけに、知らないやつだから人違いだろ、と無視を決め込もうとしていた宮城も振り向いた。7番なんてゼッケンいくらでもいるはずだが、明らかにこっちを――いや宮城を指差している。涼しげな顔をした男で、選手ではないのか。応援用のTシャツを着て、何やらなんとも言えない形相で宮城に見入っている。
「宮城リョータだろ」
 初対面とは思えない態度に、三井が青い顔をしながら「知り合いか?」と聞いてきた。
「いや、知らねー……
 言葉を続けようとして、男の口調とシャツに書かれた沖縄の学校名に、口をつぐんだ。知っている。少なくとも、その方言とその学校名くらいは。
「来い」
 完璧な否定ができないまま、唐突に男に腕を掴まれる。
「わっ、おい」
 あの頃の友人ではない。それくらいは分かる。だから声にも責めるような響きが含まれたし、それを聞いて、男の腕を赤木が掴んだ。
「うちの部員に何か用か」
「あんたには関係ない」
 ヤスも心配そうにしているし、三井も流川も臨戦体制だ。喧嘩っ早いんだよな、俺含めて、と宮城は困ったように息を吐く。
「あー……ちょっとだけ、行ってきます。なんか、この人が用あるみたいなんで」
「おい、宮城」
 かつて宮城をリンチした側の人間であるとはいえ、三井だってもうチームメイトがそんな目に遭うかもしれないことを見過ごせない。ただでさえ全力の試合の後だ。もしもトラブルがあったら、今の宮城ではひとたまりもないだろう。
 男は端正な顔立ちをしているが、なんだか普通の様子ではない。
「ダイジョーブっすよ」
 笑って、宮城は赤木に手を離すよう促す。これみよがしに、男は手を強く握って宮城を引っ張っていく。
「いてっ、おい。おいって」「いいから来い……!」体育館の裏まで連れて行かれるのを、ポカンと全員で見送って。
「な……なんだあれ。本当に大丈夫か?」
「何あの横暴な男。リョータの元カレ?」
「沖縄……?」
「ただごとじゃなさそうでしたけど……喧嘩とか、なりませんよね……?」
 ヤスの一言に、皆が宮城の喧嘩っぱやさを脳裏に過らせる。懸念されるのもやむを得ないほど、まあまあ喧嘩は買う男だ。せっかく山王に勝ったのに、このままでは大変なことになりかねない。
……こっそり着いて行くぞ」
 趣味が悪いとは思うが、バスケ部のためである。
 
 
「おい、もういいだろ」
 どんどん人気のいないところに連れ込まれて、これ以上は何されてもバレなさそうな場所に行き着く前に、掴まれている腕を振り解く。男の薄い髪の色。こちらを振り向く瞳に映る、色。見覚えはあった。だからあの場で断らなかったのだ。
……お前、宮城リョータだろ。宮城ソータの、弟」
――
(俺、お前の兄ちゃんと……
 辛い記憶は、忘れないものだ。特にあの日は、母が初めてミニバスを見にきてくれた日だった。ソーちゃんが死んで以来。それが最後だったけど、だからこそ、宮城の中では苦い記憶として鎮座していた。
 強い相手に勝つことができなくて、転んだせいにして試合を辞めてしまった。自分の弱さや臆病さが曝け出されるような日。辛くて普段は入らないソーちゃんの部屋に入ってしまった日。
「あんた、」
 あの日、俺を打ち負かした――いつかソーちゃんと戦ったことのある少年。宮城が成長したのと同じように、相変わらず宮城が見上げなければいけない身長。変わらない髪の色と、成長したかんばせ。
「宮城ソータ……お前の兄ちゃんだったら、今日みたいな試合になってない」
……
「あいつは天才だった。身長も高いし、早いし、何やってもバスケに愛されてた。お前とは違う。お前みたいなやつとは違った」
 あの時は、言われたくないことを言ってくると思った。ソーちゃんに勝てないことなんて誰より自分が分かっていたし、弟は大したことないと比較され続ける日々も受け入れていた。兄と同じようにはできない。兄の代わりにはなれない。俺だけじゃなくて、一度対戦しただけの相手にそう刻み込むだけの存在感が、ソーちゃんにはあった。
「あいつはきっと、インターハイで全国に名を轟かるすごい選手になった」
 その通りだ。ここは、ソーちゃんが立つはずだった場所。それだけは絶対に確信できる。
「どんなにピンチでも笑ってたし、大丈夫だって味方に思わせてた。オレが敵わんって思ったのは、あれが生まれて初めてだった」
 一人で20点もとったあの試合。宮城も、すごい、すごいと目を輝かせて見ていた。ソーちゃんは凄かった。汗だくの手のひらで、リストバンドをした手首を掴む。彼の言うことは、何一つ間違っていなかった。
 ただ――そんなことはとうの昔に分かっている、というだけで。
「あのさ」口を開いて、これ以上はと静止する寸前。
 
「でも――お前はもっと凄かった」

……え?」
 不貞腐れたように、怒りたけったように、目の下を震わせて、眉根を寄せて――羨望を向ける、その。
「凄かった。最強山王相手に一歩も引かないで抜いたドリブル。ふざけんなよ。兄貴も天才なら、弟も天才なのかよ。一度勝ったことがあるって、こんなに圧倒的じゃ嘘だと思われる。自慢もできないだろ」
 見たことがない、表情だった。宮城が生きてて、誰かに向けたことはあっても、向けられたことなど。
「あの時ひでーこと言ってたよな、って後からチームメイトに言われた。言われるまで気づきもしなかったし、ぶっちゃけ忘れてたけど……オレはお前に酷いことを言った。
 死んだ兄貴に敵わないって」
……
 なるほど、この顔は。
 嫉妬と、羨望と、悔しさと――それから、悪いことをしたって分かっているけど謝りたくない子供の顔だ。けれど男はもう高校生でもない。心底、いやそうな顔をしているけれど、謝ることを決めていた。
――あの時、悪かった。
 兄貴が死んだやつに言っていい言葉じゃなかった。最低最悪だった」
 子供の頃の宮城に届く声は、そんなものばかりだった。そして、母もそうだったのだ。宮城よりもずっと辛かっただろう。
――……
 何を言おうかと思って、不意に、物陰に気配を感じた。振り向いて、ちょっとだけ見える赤い色に、仕方ないなと胸中で笑う。そりゃ、心配にもなるか。日頃の行いである。だったら、音にする言葉は決まっていた。
 泣きそうになりながら謝ってくる男に、まっすぐ、見つめ返して。

――悪ぃ、人違いだ」
 
 な、と物陰から驚いたような声が漏れる。聞こえないふりのまま、宮城はスラスラと続ける。聞き耳を立てている誰かさんたちに、ちゃんと聞こえるように。
「俺、ずっと神奈川育ちだし、あんたのこと知らねーよ。言い出せなくてごめん」
「は……? いや、ぜっ……⁈」
 身を震わせる男のそばに近寄って、ほんの僅か。囁くように、他の誰にも聞こえないように伝える。
(ありがとう)
 それだけだ。この人は後悔してきたのだろう。こういうの、言った側は忘れてるもんだけど、それでも愚直に覚えてきた。それだけで、あの日の傷ついた宮城も救われると言うものだ。
「じゃ、元気で」
……あ、ああ。悪かった」
 ふ、と笑みが溢れる。あんたがどんなやつかは知らないけど、バスケは上手かった。今も応援に来るくらい、熱心なOBなんだろう。
 角を曲がる。不自然に集まっている湘北の面々に、しょうがない奴らだと目を細める。
「何してんすか? 人違いだったんで、大丈夫ですよ」
「お、おお……それならヨカッタ」
(演技下手くそ)
 三井サンって、ほんとこう言う人。肩をすくめて、ほら行くぞ流川、と背中を叩く。
 その肩越しに振り返った。男の目。いつかのあんたと同じように、今のあんたもバスケットを続けている。性格がいいわけじゃないだろう。それでも、言ってはならないこと言ったと後悔し続けた。
 誰かが省みてくれるだけの人生だったなら、悪くないなと俺も思えるよ。視線が外れる。あんたとは、多分もう会わない。最後の邂逅に、男は叫んだ。
 
「いい試合だった……!」
 
 ――どこの誰とも知れない人からの、歓声に、応援に、声援に。旦那も、三井サンも、流川もヤスもアヤちゃんも振り向いて。俺は、ニッと笑った。
「サンキュー!」
 名前も知らない、いつかのすれ違っただけの誰かへ向けて。