hinohi_no
2023-02-20 00:08:41
6223文字
Public ザファ
 

僕らの話をしよう

ザファ。ヤスと宮城の話。6251字。

「ヤス」
 中学二年からバスケ部に入部した宮城は、転校当初はヤンキーとかチョーシに乗ってるとか騒がれていた。それは無論、平穏に平凡に生きてきた安田にとっては、おっかなくて関わらない方がいい人間なのかもしれないが――いつだったか。
 一人でバスケをやっている宮城を見かけた時、すごい、と声をかけていた。それが、宮城と友達になる切欠だった。
 中学のバスケ部は、小学校のミニバスよりやっぱり難しくて、一年間はボール磨きとか雑用ばかりだった。運動部はこんなものだと言うけれど、どう考えても悪しき風習だと思う。ただ、特別な強豪校というわけではなかったので、嫌になるほどの練習ではなく、辛さが好きなバスケに触れる喜びを上回ることはなかったのだ。
 偶然見かけた、宮城のプレー。
 それが上級生の誰よりも上手かったから、思わず声をかけていた。
「宮城くんだよね! バスケ、すごい上手だね……!」
……?」
「あ、同じ学校の安田って言うんだ。僕、バスケ部なんだけど……
 そこで宮城の目線が安田から外れたので、ダメかも、と思った瞬間、小さな声が返ってきた。
……ポジションは?」
 外見で怖がっていたのがバカだったと思うくらい、宮城はとても優しかった。自分との相性も良かったのかもしれない。
「よかったら、バスケ部はいらない? もう二年だし、下っ端みたいなことしないで済むし……何よりその上手さなら、皆何も言わないよ!」
 ウェーブのかかった前髪から覗くアーモンド型の瞳をぱちぱちと瞬かせた宮城は、しばらくきょとんとした後、いーのかよ? と笑った。
 その笑顔に、すごく嬉しくなった。宮城が笑っている姿を見たのは、おそらく初めてのことだったから。
 
 
 ヤスの誘いは、正直ありがたかった。
 バスケ部に急に入っても、舐めているとか反発を喰らっていたと思う。特に、最初からバスケ部に入っていない宮城では。
 けれど、ヤスは宮城がいかに上手いかを1on1を行うことで皆に知らしめて、すごいでしょ、と屈託なく言ってくれた。
 まあ、ヤスが言うならそうなんだろうな。
 そんな部員の言葉に、ほのぼのとして、温厚で、絶対に誰かを攻撃しないであろう平和な顔を見る。ヤスは誰かに殴られたこともないだろうし、柔和な顔立ちも調子に乗ってるとは程遠い人間だ。どうしたって優しくて、ヤスのことを嫌いな人間はバスケ部にはいなかった。
 だから、ヤスは「リョータが上手だから……」と自慢げに言うけれど、実はお前のおかげなんだと、宮城リョータは知っている。
 友達なんてできなかった。転校。したことがない人間は一度もしないまま終わるのだろう。宮城だって初めてだった。行きたくないと駄々を捏ねた。沖縄を忘れたくなかった。いついつまでも、ソーちゃんを覚えていたかった。
 せめて、あなたがいたことを忘れたくなくて――お揃いでつけようと約束していたピアスひとつ。
 安全ピンと消毒液。やり方はソーちゃんと話したことがある。もう少し大人になったらな、とソーちゃんは言った。そのいつかは、永遠に来なかった。
 だから。
「リョータのピアス、格好いいね。自分で開けるの?」
 気負いなく褒めてくるヤスに、このピアスもどうやら調子に乗ってる要素らしいとは言わなかった。だって、ヤスが本気で褒めてるのは分かったから。
「そうだけど、自分でやるのは痛いから勧めねーぞ?」
「ピアッサー? とかあるんだっけ」
「や、安ピン」
「安全ピン⁈ すごいね⁈」
 安全ピンだと開けられる穴は細いので、その後ファーストピアスを無理やり詰めて、滅茶苦茶化膿させてしまった。
 最終的に、母に怒られながら病院に連れて行かれたことを覚えている。
「勇気あるなぁ……
 勇気がある、と言うのは。
 俺みたいな嫌われ者に話しかけてくる――お前みたいな奴のことじゃないだろうか。
 沖縄とは何もかもが違って、家の周りでバスケもできない。知ってる人たちばかりだった頃は、みんなが宮城を可愛がった。今はどこに行っても爪弾きもので。
 そんな宮城に、当たり前みたいに接してきて、一緒に帰ったりする仲に収まってきた。ヤスの方が、ずっと凄いやつじゃないかと思うのだ。
 ポイントガードなんてポジションまで被って、でも全然気にしていない。自分にできることを知りつつも、バスケが好きだからと笑っている。父さんと母さんが、と笑っていても妬む気にもならない。
 ヤスは、宮城にとっての優しさだった。
「腹減ったな」
 練習でたくさん汗をかいて帰る時、男子中学生の空腹はそう簡単におさまるものじゃない。コンビニ寄ってく? と聞けば、ヤスだって例に漏れず嬉しそうについてくる。
 ――百円の肉まん。
 お腹が減った時は、いつもこれだった。
 一番おいしくて、一番お腹に溜まって、値段も負担じゃない。ふかふかの皮と、中の肉。散々バスケをして、暗くなり始める帰り道。
「今日も練習きつかった〜〜……疲れた体に沁みるねえ」
「ヤス、吐きそうな顔してたもんな」
「うわ、分かる⁈」
 毎日毎日、学校に行きたくなくて、家にもいたくなくて、沖縄に帰りたくて、全てが嫌になった日々が楽しくなったのは――お前のおかげだと。
 口にするにはあまりに恥ずかしくて、照れ臭いから言えなかったけれど。
 何もかもが嫌になる瞬間。
 宮城が踏み越えてしまいそうな一線をとどめてくれたのは、きっと、こんな時間だった。
 
 
「こ、こ、怖かった……!」
 ゼエハアと肩で息をしながら、なんとか撒いた上級生が本当にいないか振り向いて確認する。口の中で血の味がして、いつもの練習でもここまで疲れないというだけ疲弊していた。心臓がバクバクしていた。
「へっ……大したこと……はあ……はあ……なかったな……?」
「いや、リョータも滅茶苦茶死にそうじゃん」
 軽口で追いかけてきた奴らは思ったより根性があって、逃げ切るまで大変だった。汗だくで、リョータも同様に肩で息をしている。
「だ、大丈夫かな……明日から……
「だいじょ、ーぶだよ……どうせ、そんな……うぷっ……
 上級生に目をつけられる、という行為自体が初めてで、安田の心臓は大きく暴れてやまない。怖かった。怖かったが、初めての経験すぎて――すごかった。
「こんなの、リョータは慣れてるの……?」
「え? いや……うん、まあ……?」
 慣れてるってほどでもないけど、これまでもあったのだろう。リョータと友達になってから随分経つが、すごいなあーと何度覚えたか分からない感慨が湧く。怖かったし、ドキドキした。でも。
「あいつら、目の色変えて追ってきたね」
 息が整ってきた。リョータも同様のようで、あー……と少し気まずげに後頭をかいて、ちょっと待ってろと歩き出す。
 逃げ回っているうちに、公園の近くに来ていたらしい。そして、公園の近くには大抵、駄菓子屋が存在する。
 戻ってきたリョータが、ダブルソーダと書かれたアイスを半分に割って、差し出してきた。
「悪い、ヤス。お前まで走らせて」
 ソーダ味、走り疲れた体によく冷えたアイス。思わず、笑みが溢れる。
「いいよ、全然。ちょっとだけ……ドキドキして楽しかったし」
 本当にあるんだ、上級生に追いかけられて逃げるって。
……お前度胸あるなー……
「いや、それはリョータだよ……
 僕にはあんな風に言い返すことはできない。
 自信満々に、俯かず前を向いて歩いている。出会った頃より、これがリョータの本質なのだろう。強くて格好良くて優しいのだ。自分が悪くなければ胸を張っていられることは、すごいことだ。
 リョータのいいところを沢山知っている。
 もっとたくさんの人が知ってくれればいいのにな、と常日頃思っていること。
 流石にちょっと恥ずかしくて、口にしたことはない。
 
 
 
 
 名前を呼ぼうとする、間際。何百回も聞いてきた音が途切れた。
 リョータ、と音だけで呟いたヤスの唇。
 あんまりにもいつも通りに挨拶しそうになった宮城ですら、何も言えなくなるほどに。
 ヤスの細い瞳が見開かれ、涙の膜に覆われる。この時点で。母親と同じように、宮城は自分の対応が相手を怒らせるかもしれないと気づいて、上げかけた手を止めた。
――大丈夫⁈」
 それでも、怒鳴られるかもしれないと僅かに縮こまった宮城にかけられたのは、全身全霊の心配だった。
「お、大怪我じゃないか……入院って、喧嘩で入院してたのかと……!」
「あー……いや、そっちは入院なんてするほどじゃなくて……
 怪我の酷さは、そうでもない。まあ、ボコボコにされたけど。リーダー格のあの人はちゃんと倒したし。みっちゃん! と慌てた奴らが去っていく様子、ヤスにも見せたかった。ちょっと面白かったぜ。勿論俺も全然立ち上がれなくて、普通に倒れたけど。ゴミみたいな雪まで降ってきて、ああ俺ってゴミみたいだなと思って死にたくなったけど。そんなものだ。
 本当に――本当に、くだらない喧嘩だったんだ。
 だから、そんなのは大したことなくて。
「バイクで事故って……
「バイク事故……⁈」
 くだらない喧嘩だったのに。
 俺にバスケをやろうと声をかけてくれた、あの人が。くだらない物みたいに、バスケを軽んじる姿。
 大好きなバスケでも、なんでもない。ただ自分と相手を痛めつけるだけの暴力。
 なんでこんなことをしてるんだろうと、心底思ったんだ。
「リョータ、だ、大丈夫なの……?」
 本当に慌てふためいて、泣きながら聞いてくるヤスは――中学で出会った時そのままの優しさで俺に問う。大丈夫だと思う。後遺症とかも残らない健全な大怪我で、運が良かったって。本当に運がいいなら、そもそも事故ってないんじゃないかね、と思わなくもなかったけど。
「そっ……――……良かった……良かった……!」
――
 俺の手を握って、泣きながら何度も何度もそう呟くヤスに、紡ぐ言葉が出てこない。泣いている。ヤスが、これまで見たことがないくらい。今まで聞いたことがないような懸命な声で。
「良かった、生きてて良かった、無事で良かった、良かった、良かった、良かった……!」
 血反吐を吐くような、絞り出すような声で、俺を心配する全ての言葉。ボロボロと溢れる涙。
 
 たかが、他人のはずだろう。
 
 だって、宮城の世界は、兄で回っていた。家族は家族だ。子供のうちは離れられない。転校して、全部のつながりを失って、何にもない宮城リョータを。友達なんて、簡単に切れてしまって戻らないと思っていたのに。
 血も繋がっていない他人が、こんなにも誰かを心配するものなんだと。
――ヤス」
 他人同士が生きていく社会。肩を並べる場所。そんなところで生きていたこと、今まですっかり忘れていたよ。本当に、初めて気づいたみたいな面持ちで。朝陽の中に産声を上げるような気持ちになった。泥の中を彷徨って、息もできなかった。足が進まなかった。飲み込む全てが毒だった。俺はバスケができるのに、バスケだけをして生きていかなきゃいけないのに――こんなにも。
 こんなにも、誰かに大切にされたことがあったんだ。俺にも、俺だって。
 誰もが宮城ソータを求めた世界で、そんなこと知ったことではない友人が、死ななくて良かったと泣いている。
 その瞬間――他人の中で、俺が生きていることを初めて知った。
「本当に、良かった……アホリョータ……! こんな、こんな大怪我……アホ、バカ、ドジ……!」
 ヤスが初めて罵倒するのを聞いて、その言葉の語彙力のなさに慣れないことをしているのだと悟る。
――うん」
 バカだし、アホだし、ドジかもしれない。全然、否定する気になれなかった。
「心配するだろ……!」
 必死な叫びに胸が痛んで、何かが頬を伝った。頬を撫でる。濡れていた。あまりに自然に溢れた、涙だった。
……ごめん。心配かけた……
 宮城が死んだら、母は悲しむだろう。それでもずっと、もしもソーちゃんの代わりに俺が死んだらどうだったのだろうと思う。きっと今より母は幸せだったんじゃないか。沖縄から離れる必要もなかったんじゃないか。俺がダメなやつだから。俺がどうしようもないバカだから。迷惑ばかり、かけてきて。
 死んでしまいたいと思って、生きてきた。
 生きるのが辛くて、苦しくて、嫌になってきた。もう嫌だと何万回もよぎった。だって俺が死んでも世界は回る。ソーちゃんが死んだって、何一つ変わらないことがあったように。
 それなのに――宮城リョータとなんの関係もない人間が泣いている。震えながら、ばか、ばか、と怒ってすらいる。
 そっか。
 俺は、死んだら悲しんでもらえる人間だったんだ。少なくとも、ヤスにとってはそうなんだ。
「そっか……」噛み締めるように、呟いた。
 人間は他人同士で構成された世界で生きていく。当初は家族や、育ての人間たちと生きていく反面で、いつか必ず一人になる。一人になって、誰かと生きる。結婚だけにとどまらない、隣人である誰かだって、友人である誰かだって――一緒に生きる誰かなのだ。
 こうやって、いつだって消えてしまうような繋がりが、誰かの命を紡ぎ直してくれる。宮城の世界を、許してくれる。
 涙を拭った。ギプスが巻かれた首。眼帯をつけた目。まともに動けない体。俺が俺なんて死んでしまえばいいと思うから、こんなことになっている。大事じゃないものに置いているから、蔑ろにし続ける。
 もうやめよう。
 己をただ責め続けるのも。誰もが苦しいだけの喧嘩も。こんな自殺みたいな生き方を。
 大事な友人を、こんなに傷つけてしまうくらいなら――もっと自分を大切にしていきたい。
 ソーちゃんが死んでから、初めて、生きたいと願った。
 ああ、だから。
 バスケの天才じゃなくても。どこかの主人公じゃなくたって。誰もが振り向く才能などなくても。
 安田靖春は、宮城リョータを救えるのだから――それはきっと凄いことだと、胸を張っていえるのだろう。
 その優しさを、強さを、暖かさを。
 宮城リョータは、忘れない。
 
 
 
 
 
 山王高校の宝刀、ゾーンプレス。
 エース沢北と、キャプテン深津に挟まれるリョータは、身長で恵まれているとは言い難かった。恰幅もそうだ。それでも、安田靖春は知っている。
「安田? じゃあ、ヤスって呼ぶな」
 あの日からずっと、己の友人であり続けてくれたリョータが、どれだけバスケが上手いか。どれだけバスケを愛しているのか。そして、どれだけ諦めが悪いかを。
 天才でもなく、凡人の極みであるからこそ――自分がこの世で一番知っている。
 だから。
「行け……!」
 そのドリブルを、目に焼き付けて。
 宮城リョータの友人であれたことを誇りと言えるだろう。胸を張って生きていく、決して俯かないその美しい獣を。ボロボロのまま、夢を咥えて駆けるその姿を――これからも、ずっと。
 安田靖春は、忘れない。
 
 
 
 そんな些細な、けれど大事なことを繰り返して。僕らは歩んでいく。
 ずっと、いつまでも、君が友達で良かったと思いながら。