映像はところどころ途切れているところもあって、画質も悪い。音声だって耳障りな箇所がある。今時、こんなふうに記録媒体から別のものにセットして再生するだなんて随分「あなろぐ」と言うやつだな、と思いながら――それでも、今日も見てしまう。我ながら不思議で、あなろぐ愛好家というのはいつの時代もいるものだが、別にそういったタイプでもない。
「――っ……ブ……ト……ブラント、聞こえるか?」
これはリアルタイムのものではない。記録だ。デバイスは真っ暗で、声のみが再生された。切羽詰まっている音声から、映像を撮っているどころではない、ということなのだろう。
己は「ブラント」と言う人間ではない。代わりに、少し生真面目そうで低い声が返事をする。
「……サン……! 戻……!」
大体こういった記録媒体の破損は最初だけだ。今日の記録も、その例にもれなかった。突如、美しく響く、凛とした声。
「僕はあちらに行く! 君たちは脱出の準備をしろ!」
「――この馬鹿野郎……!!」
音が明瞭になって、感情もあらわになると、ああ、始まったな、と思う。
最近の、日課だ。
かつて、イーサン・ハントという伝説の男がいた――らしい。
らしい、というのは、そのエージェントの記録から、百年の月日を世界が刻んでいるからである。教科書に載っている数々の人物も、歌手も、百年前ともなれば歴史である。IMFにもこんな手段を用いていた時代があったのか、と研修期間に散々学ばされたものだ。
世界を含めたあらゆる歴史といえば、新人時代に叩き込まれるものの一つだ。人間は過去の過ちからなかなか学べない生き物であるが、しかし学ばなければ過去の意味などない。CIAから分かれたIMFは、最早世界を救った実績からみれば、圧倒的にその存在価値を証明していて、それだって歴史である。
IMFに所属する全員が、世界を救うという意気込みを持っている訳ではないとしても。
伝説のエージェント――イーサン・ハント。その伝説は数えきれないほどにのぼり、世界はこの男なくば七度滅んだだろうと言われる、最早人間とも思えない伝説の持ち主。死して既に一世紀が経過し、彼に関する記録は意図的かのように現存しているものはほんの僅か――と、言われていたが。
IMFの地下の地下。価値のなくなったガラクタが集まるそこで、多くのごみと一緒に捨てられそうになっていたその記録媒体には、たくさんのデータが、残されていた。
……正直、上層部に提出すれば狂喜乱舞するような品の数々だ。しかして、己はこれらを興味本位で聞いて、そして理解した。
なるほど、イーサン・ハントとは唯一無二であって、参考になど一切、ならない。
それらの音声データや映像データの中には、今もって謎とされている事故や事件の謎の答えが明かされていて、兎に角その全てがお宝であることには疑念はないが――それだけだ、と己は思う。
世界を救う人間。世界を担う男。
その、膨大ともいえる、記録の数々。
「イーサン、おい、返事を……!」
「イーサンは⁉」
「ベンジー、ロックを解除しろ……!」
「え、あ、」
「チッ、モタモタするなよ、俺がやる!」
ウィリアム・ブラント。ベンジー・ダン。ルーサー・スティッケル。それから、ものにのよってはイルサ・ファウスト。
イーサン・ハントと共によくあらわれる彼らは、イーサン・ハントの晩年――とはいえ、彼の晩年はけして短くない――のチームメンバーたちだ。時によって変わるが、彼らとの付き合いはイーサン・ハントも長いらしく、他のエージェントと組む時よりもひどい。なにがひどいって、その、無鉄砲さだ。
己がもしもイーサン・ハントの上司だったらとっくに胃があいているし、同僚だったら泡をふいているし、恋人であったら根をあげている。それくらい、彼の無茶で、無謀で、どうしようもないほど無鉄砲なさまは、際立っていた。
――それでも。
「……っ……――ミッション・コンプリート……!」
必死に、まっすぐに、鮮烈に、どこまでも止まることなく駆けるその男が、そうして世界を救う瞬間に、立ちあえる彼らを、うらやましいとも、思うのだ。それは、物語の中のヒーローみたいだからとか、歴史に名を残す伝説だからとか、そういう理由ではなかった。
「まったく、君は……」
音声データの中で、ウィリアム・ブラントは息をつく。呆れたように。けれど、世界をまたもや救ってしまった男に、労いを手向けるように。
がが、と言うノイズのあと、映像データに切り替わり、ほこりをかぶったディスプレイが起動した。ああ、と息をのむ。
その男は、ぼろぼろだった。骨が折れたのだろうか、だらりと下がった肩を抱いている。美しい頬に煤がつき、少し長い髪は乱れ、信じられないほど整った顔に血が滴っていたが――それでも尚、今まで己が見たどんな人間より、(翡翠の瞳。光によって変わる色。垂れた瞳と、あがった口角の最高のバランス。甘いのに美しく、格好いいのに可愛い、この世の美と言う美全てに祝福された、その顔は、瞳は、意志によって、満ち満ちて、いて)
うつくしい、男だった。
「……ルーサー! ブラント! ベンジー!」
笑って手をふるその姿に、映像が僅かに揺れた。風がなびいて彼の髪を、僅かに撫でてゆく。たった今、災禍から世界を救った男が、太陽のように笑っている。身体中傷だらけで、信じられないことを何度もこなして。不可能と言われたミッションを達成したした彼が、美しくも柔らかく目を細めて。
「足が動かなくて、立てないんだ。手をかしてくれないか」
なんて、笑うから。
イーサン・ハントは伝説で、神話級の存在で、人間ともみなされないような活躍ばかり聞かされてきた。人づてに聞くイーサン・ハントの全容は分からなくて、現実感すら薄かった。誰もイーサン・ハントみたいになれとは言わなかったけれど、その功績だけは認められていて、歴史の中の誰かみたいで。
けれど、ディスプレイの中、仲間に肩をかりて起ち上がる彼は、確かに人間だ。
ぱち、と、その瞳と――目があった。
美しく睫毛に縁どられた瞳がこちらを向いて(カメラだ)、ふ、と柔らかく細められ(カメラを見ているんだ)、桃色の唇が開いて声を紡ぐ。
(己ではないと理解しろ)
「ああ、お疲れ様、君も無事でよかった」
(彼は百年も前に死んでいる)
「さあ、世界も救ったことだし、おいしいご飯でも食べて帰ろうか」
ばか、医者が先だ、とウィリアム・ブラントが毒づいて、映像は、終わる。
その顔が焼き付いて離れなくて、息を忘れるくらい――イーサン・ハントは、ただただ美しかった。
「おい、いつまで残ってるんだ?」
余韻に浸る間もなく突然背後から話しかけられて、びくりと肩が撥ねた。同僚だ。最近この地下に入り浸っているのは、とうにばれていたし、足繁く通っている様子を観察されていたらしい。しかし、ここは自分の家ではないのだから仕方ない。いくらなんでも、これらを家に持ち帰る勇気は己にはない。
「あ、ああ、今帰るよ」
慌てて起ち上がり、同僚のもとまで駆けていく。
「なんか面白いもんでもあったのか?」
「いや、別に……ただ、」
ただ。
変わったことはない。世界は相変わらずテロリストや陰謀で満ちていて、いつ終わるともしれない綱渡りの中で保っている。人間は争いをやめないし、一見平和そうに見える場所だって、なんの不条理や不合理が襲ってくるか分からない。科学が進化し、世界が表向き手を取り合って、昔よりマシになったのかもと思う反面、もっと酷くなったんじゃないかとよぎる瞬間だってある。
IMFが世界を救う分、他の組織だって世界を救っているのだろう。人間は方法や場所を変えただけで争いは消えないし、差別も犯罪も消えていない。目指すべき世界はある。理想もある。けれど、その美しい未来には届かない。
ただ――百年前だって、そうだった。
その中で、必死に生きて、世界を救う、男がいた。
それだけで、己は泣きたくなるくらい。
「……明日も世界を救おう、って、なんか、そう思えたよ」
いついつまでも終わらない任務に、飽きていたところだった。命の代えが幾らでもきく世界が嫌だった。誰かのために必死で擲っても、誰にも知られることがないばかりか、存在を抹消される。
己が死んでも次の誰かがIMFのエージェントになる。そんなこと、納得づくで入ったつもりだった。それでも、そういうものだから、と思い知らされるたびの無力感は、頭で分かっていても理解には程遠かった。
いっそのこと。テロリストの誘いの方が魅力的だと、そう、思い始めていた己に。
変わらない世界だ。終わらない世界だ。己が頑張らなくたって、誰かが頑張ると思えてならない、かわりばえのない日々に――イーサン・ハントだって、生きていた。あの伝説のエージェントですら、そうだった。特別に力が強いわけでも、飛び抜けて頭が良いわけでもない、その人は。
歯を食いしばって、愛するもののために、自分が守りたいもののために、誰かが頑張ればいいんだとは言わなかった。僕じゃなくていいだろうとは口にしなかった。もう無理だから諦めろと、止められても止まらなかった。止まる理由が、彼にはなかった。
IMFに忠誠を誓っていたわけでもない。彼が何度も組織に追われる記録を、己は呆れるほどに見てしまった。じゃあ、彼は何に従ったのだろう。大義だろうか? あるいは正義だろうか?
いいや、おそらく――きっと彼は、いつだって己自身に従っていた。
助けたいと思う人を。救いたいと思う世界を。守りたいあらゆるものを。
救えないものもあって、守れない何かがあって、失ったものもあって。折れても、嫌になっても、うんざりしても、完璧になんて生きれなくても。ちっぽけで、他人から見たら笑われるような、そんな物のために駆けていた。全身全霊を、捧げていた。
だったら。
「へえ、うん? そうだな、俺も頑張るか!」
同僚は笑って俺の背中を叩き、「じゃあ、うまい飯でも食いに行くか!」と歩き出す。
「そうだな」
あのイーサン・ハントだって、世界を救って仲間とおいしいご飯を食べて、いたんだから。
きっと、百年後だって、世界はつつがなく、騒がしく、目まぐるしいほどに、回ってゆくのだろう。
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