hinohi_no
2016-05-05 15:39:45
5055文字
Public 他洋画・洋ドラ
 

Awake

ブリザード。リッチーからバーニーへの感情。果たして彼は何を考えていたのか。

 バーニー・ウェバーは残酷な男である。
 これを口にすれば、ウェバーを知るほとんどすべての人間は「理解できない」と顔をしかめるだろう。あるいは、妙な冗談だと受け取る。そんなことはリチャード・リヴシーも知っていた。
 バーニー・ウェバーは実直な男だ。誠実で、真面目で、仕事に対していつだって本気で取り組んでいる。そんなことは分かっている。
 リチャードは、もっとさまざまなことを分かっていた。
 たとえば、バーニー・ウェバーが一年前、ランドリー号を救えなかったのだって、彼の技量不足だとか、努力不足だとか、そういうもののせいではないことを。
 たとえば、バーニー・ウェバーがそれでも責任を感じていて、リチャードが責めるたびに胸の傷をえぐられていることを。
 たとえば、バーニー・ウェバーがあの新任司令官のクラフにすら口答えできないくらい、普段はおとなしいことを。
 たとえば、その海よりも蒼い瞳は、いつだってリチャードを見もしないで通り過ぎていくことを。
 たとえば、船のハンドルを握った瞬間から、バーニー・ウェバーはそれでも、ゆるぎない船長たりえることを。
 たとえば、砂洲のおそろしさを体感しながらも、それでも進むと決めたときに、しずかに目を閉じ、息をすって、深呼吸して、目を開いたときの、うつくしい横顔を。ひたむきな精神を。
 たとえば、どんな些細な規律だって守る男だということを。
 たとえば、奇跡をたぐりよせるために、バーニー・ウェバーが最善を尽くしたことを。だからこそ奇跡は起こったことを。
 そうして――何度も、何度も、リチャードをうかがった、濡れそぼった、きらめく瞳。
 雨に打たれながら、もう無理だって諦めてもいいのに、無茶だと言ったってまげない頑固さが根底にあって。更にもっと深い底に沈んでいたのは、ウェバーの隠れていた本質だった。隠されていた海の底だった。
「お前は――
「僕がなんだって言うんだ! リッチー!」
 ウェバーが、感情を露呈するところを、はじめて、見た。
 あらわにして、むきだしにして、震えながら。今まで、一度だってウェバーはリチャードに口答えしなかった。叫ぶなんてもってのほか。けれど。
 思えば、それがずっと欲しかった。
 何を言ったって、どんな言葉でなじったって、突き落したって、うつむいて耐えているから、リチャードは引き際を見失ったのだ。はじまりは、なんだっただろうか。鼓舞のつもりだったのか。慰めだったのか。憎悪だったのだろうか。失望だろうか。
 多分、その全部だ。
(リッチーと呼んでくれ。皆そう呼ぶ。ああ、別に敬語もいらない)
 そう言ったときに、すこし嬉しそうに「よろしく、リッチー」と笑ったウェバーを覚えている。最初は、ずいぶん年上のリチャードに敬語を抜かして話すことをウェバーは難しそうにしていたが、しばらくすると慣れたようで、リチャードの斜に構えたような態度にも目を細めていた。
 そうとも、人見知りだけど漁師ほど寡黙ではないウェバーは、ガスローとは特に仲が良かったが、リチャードと険悪なわけでもなかったのだ。
 ランドリー号の事件まで。
 大荒れの嵐の中で、ランドリー号を救助しに行ったのはウェバーとガスローであった。そして、リチャードはウェバーなら救えるだろうと、信じていたのだ。
 まあ、多分、愚かなことだ。絶対、というものはこの世に存在しない。
 それが裏切られたような気持ちになって、外海に出られなくて戻ってきたウェバーを詰った。ガスローは「俺が止めたんだ。あんな砂洲越えられっこない」と言っていたが、それでもウェバーならやれるんじゃないかと。あるいは、主任であるバングスなら超えられたかもしれない。
 出動しなければならない。だけど、帰って来なければならないわけではない。
 それが、沿岸警備隊のモットーで、規則だった。
 すごすごと引き下がって帰ってきたウェバーは、冷ややかにその言葉をつぶやくリチャードに、ぐっと堪えて、唇を引き結んだ。
 瞬間、頭は冷えていた。無理だったのだ。でも、最善を尽くしてほしかった。それだけなら、あるいはそうと言えばよかった。
 けれど、意気消沈して、落ち込んで、これ以上ないほど沈んでいるウェバーに、更にわけのわからない怒りがわきあがった。
 ――そんなにつらいなら、そう、言えばいい。
 ガスローのように、反論していいのだ。これが最善だった。これ以上は、無理だったと。ウェバーはそう言わなかった。そうして、一人で八人を見殺しにしたのだと傷ついている。
 最初に詰ったのは、失望から。
 次は、期待。抱え込まずに、怒ればいい。それをリチャードは受け止められた。
 だのに、やっぱりウェバーは何も言わなくて、そうしたら止められなくなった。あんなに、リッチー、と懐いてくれていたのに。リチャードが歩み寄りさえすれば、ずっとそのままだったろう。だが、できなかった。
 結局、ウェバーはリチャードに対して、本気ではないのだ。
ウェバーの態度は、びくつきながらも変わりなかった。以前のようにこたえることができなくなった理由は明白だけど、同じ職場であることはゆるぎない。気まずくても、憎くても、人員配置が変更されるわけもないのだから。
 そして、ただでさえ真面目だった男は、更に規則にこだわるようになった。規則。規則。規則。規則。それを守れないのなら、意味がないとすら思っているようだった。何故か。
 リチャードがそう言ったから。それを、かたくなに信じている。
 上目づかいでいつも己をうかがいながら、あの日のリチャードの期待にこたえようとしつづけるウェバーに苛立ちを覚えながら、もう無理なんだと吐き捨てそうになる。そして、その瞳に傷ついたと言わんばかりの光がよぎるたびに、妙な気持ちがせりあがっていることにも驚いた。
 ぞくぞくと背筋を這うのが恍惚とした感情だと気づかないふりをしながら、いつか、俺に感情をぶつけてみろよ、と、何度も何度もあおって。
 あおりつづけて、一年たった。
 そしてようやく、ウェバーはリチャードにさらけだした。その、姿を。
「僕が連れてきた! 主任でも局長でもなく、この僕だ!」
 ――バングスなら越えられた。
 ああ、そう言ったのは、己だった。
「成功したんだ」
 あの日、できなかったことを成し遂げた。お前が、俺の言うことも誰の言うことも聞かずに、戻ろうとしている理由。
「戻りたいのか?」
 単にリチャードの言葉に反発してのことでは/戻って来なければならないわけでは/ない。
「まだだろ。ここまで来た」
 砂洲の波に、のまれながら、それでも。
「見捨てないぞ」
 辿り着けないまま沈んだ八人。ランドリー号の船員の家族は、カール・ニッカーソンを筆頭にウェバーを責めるものがいる。あるいはそれは、リチャードのように、と言っていいのかもしれない。
「僕がいる限り」
 ああ、ウェバーは、ただ救いたいのだ。
 救助に誰も来ずに、絶望のまま死んでゆく人々を、見たくないのだ。
 コンパスもなく、現在地もわからず、無線まで通じない。漂流しているのはタンカーだけではない。だけど。
……役目を果たせ」
 あの日の己に言い聞かせるように。
 あるいは、戻ろうなんて言ってしまった俺たちに、俺に、職務/規則を思い出させるように。
 己が言ったことなのだと、リチャードは思う。ステロもライダーも迷ってしまえと言った。それは一年前ウェバーとガスローがたどりつけずに帰ってきたことと同じだ。
沿岸警備隊は必ず出動するが、帰ってくるとは限らない。……規則でして。
 生き残りたい。死にたくない。誰だって同じだ。それはきっと、タンカーに乗って(まだ生きているのなら)助けを待っているやつらも、同じなのだ。
 彼らのために、命を捨てる、覚悟があるか。
 その役目を、果たせるか。
果たしてみせろとかつて詰った己も、けれど、もう無理だと思ったのだ。思って、しまったのだ。
 ……そんなリチャードに声を高らかに叫び、ずぶ濡れになったウェバーは。前髪が額にかかって、のぞく瞳に絶望をうつさないウェバーは、きれいだった。
 二十も下の青年に、目を、奪われる。
 ああ、大人げないとは思っていた。それでも、こんなこと良くあることだと、うなだれるウェバーに教えてやりたかったのも、ほんとうだったのだ。お前は沿岸警備隊の規則を果たせなかったけれど、よくあることのひとつだ。心の傷が血を流しつづけても、いつか慣れてかさぶたになり、剥がすことができるようになる。だから、だからはやく俺に――おまえのすべてをみせてみろと。
 上に立っているつもりだった。ウェバーを謗ることで本心を引き出したくて、痛みに慣れさせているつもりで、導いているような、そんなつもりで、結局のところリチャードは、ただ……ある種、焦がれていたのだ。
 碧すぎる瞳に。桃色の唇に。こんじきの稲穂のような髪に。はにかんだ笑顔に。素直で、実直な、そのありように。
 その視線に射抜かれるたびに、怖くなる。夜の闇のなかできらりと光る、紺碧の水色。
 ばかだな。
 ふと、思ったのは、己のことだ。
 肩を叩いて、お前はよくやったと言うだけの、どこにでもいる同僚に、リチャードはなりたくなかったのだ。
 這い上がって、さんざん罵ったリチャードを、挑むみたいにして見つめて欲しかった。けれど、ウェバーはそういう男ではない。
 もう、喪ってたまるものか。絶対に助けるのだと誓った瞳は、静謐な決意をにじませて孕んでいる。リチャードが責めつづけた歳月と言葉は、積もるだけだ。
 そんなことをしなくたって、バーニー・ウェバーがうつくしいことに変わりはないのだ。
 だから、ばかだな、と思った。
 無駄みたいな日々の積み重ねも、今のウェバーの前では、いともたやすく霧散する。まるでそれ自体、自然のことのように。
 ああ、諦めてなんて、やらないよな。
 這い上がる、までもない。ウェバーは堕ちてもいないのだ。救えなかった命をたっとばないことは、あり得ない選択だ。きっと彼は、これからもあの日の己を責め続ける。そんなことはしなくてもいいのだと、リチャードには言えない。規則を守れなかった己を責める。
 ウェバーの、震えて凍える息に、報いることは未来永劫できないのだ。
 だけど、だから。
 三十二人もの重みを背負って、痙攣するほど疲弊し、何度も眠りそうになりながら、それでも風をよんでウェバーは操舵しつづける。
 規則に従いながら、上官の命令に逆らって。
 ぱちりと無線を切って、子犬みたいにこちらを上目づかいで見つめる瞳には、伺う色はなかった。ただ、叱られる寸前の子どもみたいな顔をしながら、後悔の色すらもなく。
 軽々と、ウェバーは俺の予想をはるかにこえて。
 無理だと言ったって、戻ろうと進言したって、そんなことはできないと突っぱねる頑ななところ。こうと決めたら歩みを止めない姿。
 まだおまえは、俺の半分も生きていないのに。
 嘘みたいな奇跡を起こして、今にも倒れて寝てしまいそうになりながら、白い息を吐くウェバーの、背中を叩いて、俺は「もういいんじゃないか?」と己に囁いた。
 もう、ウェバーを解放してやろう。
 己の中の小さな優越感だとか独占欲だとかを満たしてウェバーを傷つけることをやめて、これほどの功績を果たしたウェバーを、素直に褒めてしまってもいいんじゃないか。
 大多数の一人みたいに、よくやったと言ったって、いいんじゃないか。
 ウェバーの諦めないこころは、俺よりずっと立派だと認めていいんじゃないか。
 つまらない意地を捨てて、本当は、ずっとこうしたかったんじゃないか。
 自然と、目を細めて、口角を吊り上げて、俺は笑っていた。
 俺のなかで衝動のようにくすぶっていたそれを、しまいこんで。明日からはまたいつもの斜に構えた俺に戻っているかもしれない。それでも、ウェバーを責めることをやめているだろう。だって、何の意味もないと知ったから。だから、いまはただ、まるで親しい隣人のように。いまはただ、初めて出会った時のように。いまはただ、ともに死線を乗り越えて、仕事を成し遂げた友人のように。

「やったな、ウェバー!」
 リチャードは、バーニーに笑いかけた。